金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

准胝仏母

今回のお浴油は重病の人が多い。
悪くすると命の危険が・・・・
そうなると当然延命の御真言を多く唱えることになります。
そういう時には天台方では普賢延命を憶念するのが多いですが私は准胝仏母の方が多い。
お浴油だから聖天さんの真言以外称えないというというやりかたではないのです。良いと思われる真言は何でも入れ込む。これは私の師匠伝来のやり方。白戸流です。
どういうわけか私にとっては准胝様は拝みやすい。脇侍の難陀、跋難陀という二竜王も好きです。
真言宗では主に観音として知られ六観音にも入っていますが、真言でも廣澤方や天台方では仏母部に入れます。
観音部に准胝を入れない理由とは額上に化仏が載っていない。
一方観音部に入れる理由は讃の中にアバロキティ・シュバラという観音を表わす名詞が入っていることです。
マア、どっちでもいいと思うのですが私は天台の流儀でやはり仏母部として拝みます。
余り准胝法まではしないけど、修すると布字観では微妙なパステルカラーの月輪が色々出てきて楽しいですね。それやるととっても安らぎます。ああ、准胝様ってこんな感じなんだと思う。
信者さんの中には准胝様を祀っている方もいます。
遠了凡の功過格のなかでもこの仏母が出てきますね。
占いの予言通りの人生を送っていた中国のお役人が、ある禅師の導きで准胝の陀羅尼と善悪を記す功過格を教えられ、その後はさらに予言された寿命をも越して豊かに暮らしたという話。
この話は占いの単なる否定ではありません。准胝の陀羅尼を知るまでは占い通りだったわけです。
この話の前提を占いなんて迷信でダメだという話だと思っている人は一知半解ですね。
そうではなく陀羅尼は運命を変える力があるということですね。
大事なのは彼は功過格によって自分の行動を採点修正した点です。
この二つが無いと運命は変えられないでしょう。
だから真言を何万遍称えても行動が変わらないと人生も変わらないわけですね。
真言は行動の軌道修正の代用ではありません。
まちがったことや良からぬことをしながら、それを改めないで真言を唱えて帳消しにしようとしても絶対良くはならないこと必定です。
仮にこういう状態でそのまま一時的に良くなってしまうと改めないからかえって災いです。
あやまった聖天信仰の毘那夜迦信仰なんかは、そういうことしか考えませんからね。その類です。
ひたすら、すがりつくような、拝み倒すような、熱心で猛烈なお参りとお供物や御金の限りを使って財施の供養することのみに終始する。でも言動の反省はしない。
それで験があったと勘違いして結局は地獄行きになります。
それこそ迷信の極みです。