金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

花水供

聖天様の信仰している人なら多くの人が「華水供」という言葉を聞いたことがあるでしょう。
いわゆる浴油供から浴油と飲食供を除いたものです。
すると普通の十八道立ての如法供になるのだけどそこから飲食供ものぞきます。
これは本来は朝とお昼までの作法が浴油でその後の午後に修される作法です。
聖天さまの加行である千座は本来は朝とお昼まで浴油。午後は華水供を壱日三座で壱年やって都合千座だったのでしょうね。
信貴山玉蔵院の故野澤密厳先生は聖天様ならぬ双身毘沙門天の浴油をそうやって修行しておいででしたけど、千座終わっても勢いでずっと朝は浴油に護摩でおがんでいたようです。
朝はもう三時頃からやる。それでも夜11時頃まで宿泊の信徒さんの
お相手をしておられたそうです。スゴイ方でした。

天尊は仏戒においては午後は食事をしないのでこういう作法をします。
だから本当は何様を拝んでも午後は華水供なんですね。
お供えするのは花と水だけ。
でも実際はお供物並べたりするし、飲食供もすることが現行法では普通です。拝んでるお坊さんが夜ご飯食べているくらいですからね。
華水供=如法供はたぶん最近じゃなくてかなりの大昔からそうだったように思います。
だから今でいう華水供というのは現実は多くが如法供の別名ということです。実際やってみると飲食供だけ抜くのはどうも今一つピンときません。
当院では華水供の方の供養は真言のみで浴油しないものをそう呼んでいます。
此れが時代が下ると如法供の上にさらに華水器というのが出てきて、作法中に別して樒を浮かべた器の水を供する。
そういう風なものも出てきます。
この前、在家でできる聖天様の拝み方で、ただお花を浮かべた水をお供えする方法というのがあるそうですと教えてくれたお坊さんがいました。
おそらくこれは華水供の略儀ですね。
やってみてもいいだろうかという人もいますが勿論です。
少なくとも悪い事であるわけはないですね。
実際、うちではお地蔵様によくそうやります。
この前ある法華経系の教団でも仏壇でそんな風なことすると云う話を聞きました。お茶はあげないでお水に樒葉入れてあげるそうです。
でもこれはいずれにしても秘儀とか秘法というようなものではないでしょう。
香華灯明とお水は供養の基本です。ただ、そのうちの花と水に特化して一体化した簡略のお供えなんでしょうね。
つまりは華水供です。
密教的に言うなら普通は水は壇波羅密で布施、華は忍辱波羅密でそのまま忍辱を表わします。
よく何を上げたらいいのか聞かれますが・・・その何をというのが秘伝的な何かであると思って聞く人もいます。
確かにそういうのに類することもあるけど、そういうのはプロの世界のことでしかも基本的にしっかりした修法と裏打ちになる信仰があってのこと。
料理でいえば隠し味。
なんの世界でも秘伝だの口伝だのというのはそういうもの。シッカリした基礎があってのモノであり、それ自体が基礎を補って余りあるというようなもんじゃないです。
肝心の料理がめちゃくちゃだったり素材が傷んでいては隠し味もくそも無いのです。