金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

シン・ゴジラ

ちょっと時間ができたので夕方「シン・ゴジラ」を見に行ってきました。
とても見ごたえがある映画でした!💮です。
映画に行くというと友人からは「誰と」と聞かれることが多いですが、私はいつも一人。映画を二人で見ると盛り上がるとは限らない。
かえって「何、見ます?」なんて気を使うのが一番嫌ですね。
決めておいたのを「こっちのほうがよくないですか?」なんて別な作品に変えられるのもまっぴらごめんです。
見るならひとりが一番。孤独な私の数少ない余暇の過ごし方です。
映画自体を楽しみたいのですからお供は無用なのです。

「ゴジラ」は子供時代から好きで見てました。怪獣を倒すヒーローものなんかより怪獣主役がいいんですね。
私はへそが曲がってますので。
だから今でもハリウッドでできたSF映画なんてたいてい人間万歳。もっと言えばアメリカ万歳であんまりピンと来ない。
ただ化け物が出てきて苦心惨憺してやっつけるだけ。それで人類バンザーイみたいな映画ばかり。
昔は米軍に勝てない怪獣は作っちゃいけなかったんだって。まるで戦時中の国策映画みたい。
そういえばハリウッドの初代ゴジラは金門橋にひかかってミサイル食らって絶命です。ゴジラというよりむしろお騒がせの巨大生物、大昔の「大恐竜グワンジ」や「キングコング」みたいな印象しかない。
彼らグワンジやキングコングは都会に現れた人類の恐怖ですけど、加害者じゃないです、人類の被害者です。見世物にされて管理不行き届きで逃げたらしまいには殺されて・・・・それでやっつけて万々歳。めでたし。めでたし。
子供心にもおかしいと思いました。
二代目のハリウッドゴジラは前作よりずっといいけど、でも米国が必死に20世紀に水爆実験をしていたのはひそかに世界のためにゴジラを葬るためだったといういかにもアメリカらしい言い分が気に入りません。
「よく言うわ」という感じ。厚顔無恥とはこのことでしょう。
顔もなんかアメリカのマッチョおやじの鬼軍曹みたいなゴジラでしたね。

今回のゴジラはたぶんモチーフは深海魚。
ちっさな丸い目に馬鹿でかい口には剣山のような歯並び。どうみてもこれ提灯アンコウですね。顔だけ見たら・・・・
でもその顔は原爆で焼けただれて絶叫した瞬間の人みたいな感じでもありとても怖い。動物の怖さというより焼き殺された人の幽霊のようなむごたらしい恐ろしさ。どちらかというホラーです。
それビルを薙ぎ払うでも突き崩すでもなくただ、亡霊のようにただ、ただあゆんでくるのがとてもいい。ここもホラー的。そしてどんなことをしても止められない。ある意味「人のカルマみたいだな・・・このゴジラは」と思って見てた。
そう、なにか人間の宿命的な、どうしても逃れられない罪の具現化が亡霊となって出たような感じ。
御祈祷も同じようなものです。迫ってくるカルマをどうかわすべきか、この動きは止められないのか・・・・苦心してなんあとかしようとしますがそう簡単じゃない。
最後には不昧因果ですな。
イメージ 1
パンフレットの写真です

今度のゴジラは全然意思の疎通もできそうにない爬虫類というより魚類みたいなゴジラでした。
このゴジラは人類に加勢しようとしてキングギドラとなんか絶対戦いそうにありません。
そんなことすりゃこの映画の怪獣生命はおしまい。この路線では動物本能や未知の命の恐ろしさ、不可思議さのみが語られたほうがいい。
続編が早くも云々されているらしいけどこの先はおさだまりの怪獣合戦にならないほうがいいように思います。
あくまで怪しい生き物。だから怪獣です・
そこがいいんですね。でも本当はこのゴジラも人間の被害者なんです。
この映画は再び放射能の問題を我々に強烈に突き付けています。
アメリカのマーベル社のSF映画のようなものとは一緒にできない社会的テーマが満載です。もっとも映画はただ楽しめればいいんでしょうけど、でもそういうテーマのあるなしで響いてくるものは違います。
内容的にはある意味ほとんど災害対策シュミレーションみたいな映画といってもよい。
(ただし見ても地震なんかには役には立ちませんよ。)
また、ゴジラの出現によって未曾有のことに慌てふためく日本政府。そして国際社会の思惑や野心の中で木の葉のように翻弄される日本の姿。
それと駆け引きし攻防し日本をなんとか救おうとする人々。
内にはゴジラ、外には国際圧力という二重の敵が見えてきます。
これはゴジラをなにか破滅的大災害に置き換えると同じ構図の日本が見えてくる。
おバカなギャルや子供さんには多分退屈な映画だけど大人にはズンと見ごたえある優作です。