この人はうちの講員さんですが、御祈願は私と出会う以前から西陣の聖天様にしています。
例によってそれは私的にも続けてもらいたいということです。
お護摩の時にもちょうど谷田師に電話かかってきて、私も電話に出ました。
西陣さんに聖天様は実にたくさんおられますが谷田師は普段は自分にはこの聖天様が一番合っていると思う「銀天」(銀製のお像)でよく拝むそうです。
ご尊像には「相性」があるといいますがそう思いますね。
ご尊像に相性があるなら、同じ意味で聖天様にも相性がある。私が昔、聖天信仰はどこが自分に向いているかと回った時には結局大井の聖天だけがヒットしました。いろいろな経緯を考えると実際は私が選んだのでなく大井の聖天様に呼んで頂いたのだと思います。
勿論、これは良し悪しの話じゃないですよ。
あくまで相性だけのお話です。
だからこそ、うまくいっている聖天信仰なら、よそでもそちらを是非続けてもらいたいのです。
変えるには及びません。
「うまくいっていることは続ける」「そうでないことは少し変えてみる」というのが大事だと今は千手院さんで執事長されている朋友が教えてくれました。
西陣さんは京の町屋風の長い廊下でつながった不思議な作りで照明はもっぱら和蠟燭だそうです。
だからいつもほの暗い神秘的な感じですね。
修法にはこの方がいいのかも。
大体仏像の金箔は蝋燭で照り返すようにできているのです。
秀吉の「金の茶室」もそうらしいです。
蝋燭の光と金はあうんですね。
和蝋燭は香りがよいそうで、洋風な蝋燭にしたら「臭いぞ!」って聖天様からいわれたそうで・・・また和蝋燭にしたそうです。
行者と聖天様はそのようにツーカーでないといけない。
おっかなびっくり「罰当たらないかしら・・・?」なんて敬遠するだけじゃ修法になりません。