金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ツノガエルに学ぶ辨事ということ

今現在、お施餓鬼しているお弟子さんが「餓鬼って調べてみると、なんか、きれいなものは受けいけられないんですよね。・・・でも前方便で遮水したりして三鈷杵で道場を清浄にするのはどうなんでしょう。不相応じゃないでしょうか?」という話でした。確かに儀軌では前方便はいわゆる如法供の前段などは書いてありませんね。

辨事の明王軍荼利様の真言オンアミリテイウンハッタやオンキリキリバサラウンハッタはいずれも僻除のためのものです。
彼の言う通り普通に考えれば道場を整え保つということですが・・・・
ここで大事なのは「辨事」つまりことをわきまえるということ。
辨事とは結局物事が整うべくすることですよね。

たとえば今日「カエルの土」を買ってきました。「なんじゃそりゃ?」という人もいるでしょうが・・・拙寺では「ツノガエル」というカエルを飼っています。
このカエルは湿った土に半分体を埋めて通りかかる昆虫などを食べるんですね。両生類なので乾燥するのは嫌います。だから湿った土に半分埋まっている。
※フロッグソイルはツノガエル飼育の便利品です。

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つまりカエルから見れば湿った土が最高でちょうどいいんです。
よく磨かれたピカピカの床の上なんかに置かれた日にゃ落ち着きどころがない。だからカエルのための辨事とは湿った汚れていない土を用意すること。
そういう土はカエルから見ればピカピカの床なんかよりよほど清らかなものです。
軍荼利様の清浄って無菌状態か何かのように思っているのは大間違いです。全く生き物が住めない環境、微生物さえいないのは不浄の最たるものです。

写真はツノガエルくんです。土の中で半分埋まって喜んでいます。
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生かす力こそ清浄なるもの。密教でいう辨事の力はそういう力。
清浄というのもそういうことだと思います。
清めるとは何か?
アルコール消毒のようなものじゃなく、施餓鬼の場合は餓鬼が安心できる環境ができるのが辨事ということです。
そうでないと煎じ詰めれば潔癖症みたいな考えになる。
潔癖症って、周りの人や物より本当は自分自身のことが汚いと思いこむ病です。