金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

10棒もくらわせたい!

今日も公案の話。碧巌録の「南泉斬猫」です。(無門関にもあるらしい)
これも難解な公案として知られています。
僧堂の南北の僧侶が集まって子猫を囲んでワイワイやっていた。まあ、当時、今より猫は珍しいし、彼らなりに集まってかわいがっていたんでしょうね。
そうしたら南泉和尚がそこへ来て「お前ら、何をしている。なんとかいってみろ。」とやった。
この「何とか言ってみろ。」は禅の修行僧としてと・・いう意味でただ騒いでいるのをとがめているだけじゃないんですね。
「いえなければ子猫は切ってしまうぞ。」と言ったが誰も答えられない。それで実際に目前で切り殺してしまった。これを見ていた趙州という僧侶がやおら草鞋を頭にのせてスタスタと歩いて行ったといいます。
南泉和尚は「ああ、あいつがいれば猫は切らないですんだものを・・・」といったとか。

色々な公案の解説書が出ているようです。これに対する答えは人間はとっさの機転がなければ、危急を救えないという意味とか、趙州が頭に草鞋を載せたのは上の人にはモノが言い難いよね。それなのに無茶なことは言わないでくれ。という南泉に対するメッセージだとか…色々あるらしいんです。
でも素人が聞いてあまり釈然とするのはないらしい。
私的にもさっぱりわかりません。
ただ思うのは、ここに重要な悟りの示唆があったにせよ、子猫を切り殺すのは許せないと思う。
たかが、僧堂の連中の悟りのために命一つ殺してみせるのは愚かな行為としか思いません。
実際そのあと誰かが何か悟ったとかいう記述はないのです。
はっきり申して仏教者のふるまいとも思えぬ無益の殺生でしかない。
私がその僧堂にいたら、いきなり猫を斬ろうとする南泉禅師に10棒も食らわしたいものです。この当時の中国禅宗は何かというと棒でたたくとか喝を加えるお家柄。
棒と喝は禅宗第一の馳走だそうですから。いいんじゃない。
そうしたら、かえって南泉和尚から印可頂いたりしたかも()


こんなこと言っていたら禅の修行者の方にはどう思われるかわかりませんが。
まあ、しょせん狗子の如き愚かな私の発言ですからお許しくださいませ。
「ハネダに仏性アリや、否や?」「無―っ!!」であります。
呵々大笑。