金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「私って○○なんです」

「私って○○なんです」っていう人いますね。
いつも遅刻してきて「わたしって朝は駄目なんです」というようなお方。
まあ、さすがに会社じゃそういうことは言えないかもしれないけど、最近は下手に注意したら「私、朝は駄目だって言ったはずですけど?」といいかねない。
昔いつも遅刻する人がいてその言い訳は「道が混んでいるんです。」
「じゃあ早めに出れば」といってもそうしない。
するわけがない。
なぜなら、相手が要求しているのは「現状の肯定」だからです。
その強烈なのが「私って○○なんです。」ですね。
「そうなんだ。じゃあ仕方ないね。」を引き出せばお墨付きでしめたもんですからね。
目的はそこにこそある。
つまり、この方々は私=○○だからそれを変更は無理!というアファメーション(宣言)しているんですね。
 
昔は一々「そうではないだろうが!」と突っ込んでいましたが、最近はやらない。
「道が混んでて遅れる?そうなんだ。いい。いい。気を付けてゆっくり来ればいいから大丈夫。(あてにしてませんので)」ですまします。
昔こんな人もいた。
「修行してたんですけど、どうしても忙しくて途中何日か止めちゃったんですけど駄目でしょうか?」
昔ならやり直しです。言ったはずです。「途中切っちゃだめだ」と。
でも最近ならどうでしょう。
「ああ、いいでしょう。大丈夫ですよ。(そういう人はもうその次にやっていただくことの用意はないので)」というかもね。
そもそも駄目でしょうか?というこの方の聞き方は容認を求めている訳です。
本心言えば「それは駄目だといっただろうが。バカか!」となる。
でも小学校の生徒と先生じゃないからそんなことうるさく言ってまでさせないです。
本人がそれでいいならいいでしょ。
でもさすがに初めての電話で「私、そちらへいって相談したいんですけど無理です。私、忙しいので行かれません。だからお電話でお願いしたいんです。」とかは「ああ、そうですか。忙しんじゃ無理ですよねェ。よくわかりますよ。でもね、うちも結構忙しいんで電話とかは無理ですから。」と言っています。
「タバコ吸いたいんですけど、灰皿下さい。私タバコないと無理なんです。」という女性。「あ、そう。ここは禁煙です。じゃ外出て焼却炉のとこで吸ってください。」「雨降ってますけど・・・」「傘ありますよ」となる。
当たり前ですよね。
こういう人もいました。「講員になるとか無理です。うち家の者が宗教とか大嫌いなんで、だから、御札とか祀るんじゃなくて…そちらでわからないように拝んでもらいたいんです。」
これはすごいね。まず「講員ははならない」という現状の受け入れ、しかも「御札は駄目」という祈願の方法論の命令まで入っています。
 すごいね。
「宿曜の勉強をやりたいんだけど、宗教とは関係なくこれを事業化したいんです。」という方、これはうちに来た電話じゃないけどね。
これも「ああ、そうなんですね。うちのはなにせ密教占星法ですから無理ですね。よそをお当たり下さい。」となります。