金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

庭に出ている犬は駄目な犬?

子供のころより色々な動物を飼ってきましたが、動物にはその種類ごとの適した環境が必要です。
同じような種類でも微妙に違う。生活様式もそうだし。
食性も環境もそうです。
たとえばアルマジロを犬の様につないでは飼えません。
フトアゴヒゲトカゲエリマキトカゲでは同じオーストラリア出身のトカゲですが、フトアゴヒゲトカゲは育つほど植物食が強くなり、乾燥にも強い。かたやエリマキトカゲは草原の生き物でより湿度が必要だし、野菜は食べません。昆虫のような動物食です。
コキンチョウやカナリアや多くの鳥類には水浴びは欠かせませんし、その量も鳥によって違う。同じ大きさでも。つまり水の豊富な場所を生息域としている鳥であれば浴びる量は多いかもしれないのです。
光の量も土中以外に遮るところのない砂漠の生物は一時的にでも強い太陽光が必要です。そうでないと緩やかに死んでしまう。
このようにみな違う。
私はこの点人間というのも同じように考えています。
この場所では無理では、こちらでは生きていける。
そんなことやたらあるでしょう。
「動物を似ているからと言って皆同じ様式で飼養できない」のと、そこには共通のものがある。
だから職場を解雇に成ったら、動物的に考えるならもっと住みやすい場所を探せばいいだけ。
動物的にはそう考える。
一緒に飼えない動物もいるよね。人間関係も同じ。
一緒ではうまくいかないコンビもある。じゃあ、一緒のゲージに入れないことです。
仲の悪い猫同志は離しておくのがいい。より乱暴な片方の猫を責めたって、たたいたって善い解決にはなりません。
勿論、この話は動物の話をそのまんまにはあてはめられないのは当たり前、基本的には人間は人間同士だからこうした問題を克服できるということだってとても大事です。
でも我慢に我慢を重ねて緩やかに死んでしまうのは意味ないよね。
動物も過度の我慢をさせると緩やかに死にます。
だから死ぬまで我慢するのはエライというのではなくアホです。
ひどい言い方だけどそれをエライと言っている限りは過労死する人なんかは絶えないので敢えてアホと言わせていただく。
頑張ることも大事、どんなに本来の棲み処であっても問題の発生もあれば天敵もいますから。
でもそれにも限度がある。
ましてやあわないなら、より住みやすい環境やストレスにならない仲間を探すことはもっともストレートな考え方です。
動物は逃げられない環境では適応を選びますが、よりよい環境があればそちらに飛んでいく。それが生命の当り前。
誰でもそうする権利がある。
ちなみに動物は皆そうしています。
おなかを壊した犬は地べたにおなかをつけてじっとしていることがあります。冷たいだろうと庭から引き揚げて敷物の上においてあげても、じきに庭に出て同じようにしている。
そうしてなおす。はた目からは何なことしているけど…?と思うけど犬は犬で知っているんですね。どうしたらいいか。
事情は様々ですがあなたもそうしてもいいのでは?
あなたの嗅覚で行きたいところに行くんです。
職を失ったり会社を解雇になったからって首を実際に釣る必要なんてないですよ。
その手もあるんです。生きる道はそこだけじゃない。
庭に出る犬は駄目犬じゃないんです。
人がどう思おうと、それが必要なら庭に出ておなかを地面につければいいんです。