金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

鈍根の身をふりかえる。


七月分の御浴油祈祷は今日の朝で二座目

最近ようやく聖天様のお気持ちが何となく感じられる(ような気がするだけ)。
聖天様とお付き合いして40年、
つくづく私は鈍根ですね。
あの師匠はよくこんな私をお弟子にしてくれたなと思う。
自分の非器を棚に上げて他人様のことながらああ言うう人をどうしてお弟子にしたのかと思うような人もいた。僭越ながら師匠にそこを聞いてみると「ウ~ン、チャレンジなんだよ。私のね」とのお言葉。
「お前さんもそうだ」とまでは口にはしなかったけど、なるほど、まちがいなく私もその口だったわけです。
私の師匠は行者が一人前になるのには15年かかるといいました。
その時は正直「エ~そんなにかかっちゃたまりません!」と思ったけど、私は正直もっともっとかかりました。
まあ。もっともこういうことに終わりはないですよね。
そう思うと気は楽ですが…。

という訳で最鈍根の行者の私ができるのは丁寧に拝む。
ただ、それだけ。
悲しいかな。優れた人徳や法力もなきゃ、人様がおったまげるような行歴も何もありません。
よその聖天様の霊場でこんな大きい御利益があったなんて聞くけど、失礼ながら全部が全部そんなにむちゃくちゃ拝んでいるわけでもなさそうなんですね。
でもご利益がある。
まあ、行者の徳もそうだけどそれは歴史が違うのもあるよね。
だから林屋先生の「聖天信仰の手引き」にあるように、昔から有名な聖天様に行くのが間違いないというのは本当でしょうね。
私なんて丁寧に拝んでもまあポチポチでここ数年で大きい御利益もようやくって感じですね。いま思うとやっとエンジン掛かったかなって感じ。
それに比べれば何百年も偉い坊さんが拝みこんだとこは薫習が違います。
到底、敵いませんね。
仏教を勉強したいとかより、純粋に心願成就だけを願うならまずそういう霊場がいいね。
だから、そんな鈍根の私の所へ来る人は縁以外は何もないんですね。
そのご縁を大事にして今日も拝ませて頂く。他の仔細は無きなり。
ただ、それだけなのであります。
合掌。