これは基礎中の基礎でいまさら人に聞くのも恥ずかしいことなんですが・・・
最多角念珠は本山方修験道専用の数珠で「修験問答」でも、「これ修験専用の数珠にして・・・」とある。
普通はそうした数珠の通例として緒留の玉が二つある場合はそれを超えないで念誦する。
つまり54編で真ん中の玉にあたりそこで超えないで折り返すわけです。
因みに当山派の「慧印法流」などは最多角でなく普通の真言宗の数珠だそうですね。だからやはり超えないで返します。
山門のように一つ玉だと108編一周して折り返す。
これは玉を師と考え、先師、先仏と考えて、それを超えることを戒めるです
が、どうも本山方諸派ではおしなべて念誦作法でそれを超えて念誦しているように聞きます。
わが宗も大概の人はそうしています。
本当に昔からそうだったんだろうか?
本山方なら旧寺門派で歴史的に言えばその密教はすべてこの智証大師流になるはずです。(金峯山様は現在は山門方の系譜ですから違いますが・・・)
中間の玉を超えて念誦するのはチベット仏教でも戒めるので、これはいってみれば密教の通例と考えてもよく、・・・だとすればどうもこの扱い方はおかしいのでは?とも思うのですが・・・いや、昔からそうだといいます。
恥ずかしながら明るい方がいらっしゃればこの辺の事情を是非ご指南いただきたいと思っています。
こんな場でお顔も拝さずにものをお尋ねするのはのはいささか失礼にすぎるのですが、最多角での念誦の作法について明確に中間の玉を超えてよい理由をご存知の方はよろしくお願いいたします。