難しいようでも実はこういうように修行すればいいということが説かれているだけの話なので・・・」とのお話。
これは面白いね。
逆に門戸を開いたとして第一、成仏というような大事を俗事の傍らできると考えられるのかという根本的疑問もある。
となるとその前に密教が万人にあたえられるものは?
「天台学概論」の著者で天台宗の碩学、福田堯穎先生は「天台法門が万人にあたえられるもの」は圓、密、禅、戒(法華経、密教、止観、大乗戒)のうちの大乗戒であるとしていますが、まあ、天台宗としてはそうなんでしょう。
そうなると真言宗でも一般在俗は歴劫修行なんでしょうか。
不空三蔵には在俗の弟子500人いたといいますがその人たちは当時、どんな修行をしていたのか知りたいですね。
そこの問題は今度お尋ねしてみたい。
今日は善き学びの一日でした。
明日は手伝いの人は欠席とのこと。もうひと頑張りしなきゃ。(笑)