金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

どんな霊の憑依でも


どんな憑依や霊障でも自分が最終的には受け入れることによっておきます。
こちらが受け入れないのに一方的に霊障が起きるなら、つまり霊が憑依したいと思えば一方的にできるというなら世の中霊障だらけでしょう。
霊障というそれ自体は受信してしまうのでそうなる。
え、受信した憶えないんですけど・・・って?

それはそうでしょう。誰もそんなこと希望しないから。
受信してしまうのはまず第一に「恐れ」です。
霊にやられる・・・という恐れ。
恐れなければ物理現象は起こせても憑依はできない。
むしろ姿を現したり、物理現象で恐怖をあおるため。

こういう人は感受性が鋭いので霊を知覚できます。
だから怖いと思う。
それによって引き入れてしまう。
ここはかなり難しいところですね。
無意識にしてしまうので・・・
いわゆる霊媒体質です。

そんなものいくら来ようが何もできはしない!と思えば入れない。
釈尊菩提樹下に坐して魔に魅入られなかったというのは基本的にそれでしょう。
外にあろうが内にあろうが我々の認識に上る時点でそれは心の存在。
それに一元化して処理するということに長じてておられた。
屋鳴りや幽霊がでるなどの霊的物理現象は面倒なようでも外にあるものだからその点では処理しやすい。
全ては物理現象か心理現象。そのほかはない。

だけど霊は巧みに心の弱みによってはいってくる。
だから心で、まず負けないことが大事です。
ガードが極端に低い人がいるのも事実。
逆に心が負けていればいかにお加持だなんだしたところでいずれまたなるんですね。
お加持してガードが完全に上がりきりになるならもう来ない。
だけど多くの霊障に悩む人はなんでも全部人頼み傾向の人が少なくない。
入ってこられるのも、追い払うのもすべてそう。
・・・だから難しいんですね。依存心の強い人はまず治らない。
霊でなく神様が憑依するのも一緒。まず信仰があるから神様が来る。
神様を受け入れる。

だから欲の塊になって、掲示受けたいとか言っても無理です。
物欲しい霊がかかるくらいのもの。餓鬼とか。波長の合うやつしか来ないもの。
そうやって欲たくましくして霊的なアンテナ立てていれば毘那夜伽の類がはいってしまうこともある。
そうすると人生一度持ち上げって一挙におしまいになる。
太く短くでいいといいう方はどうぞ。
でもそれっておしまいのあとは実際は苦そのものですよ。
死ぬと限らない。一時の栄光だけを引きずって敗残者モードで生きていくのですから。
霊に魅入られやすい方は戒を受けてそれを唱えるといいと思います。
南無帰依仏帰依法帰依僧だけでもいい。