金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

お金で助けるということ


近年の震災や豪雨の様に大きい災害にあたったり、交通事故や急病に倒れたりは問題外として、働き先がないとか稼ぎがないなどという話の場合、お金をかしたり、あげたりすることは人を助けることにならない。

大変難しいです。
悪くすると害にさえなることが多い。
そういうことは今までの人生で痛感します。

ましてや上げたり、御貸しできるお金持ちではまったくないけど・・・
安易に借りようとする人に大きな額は貸せばまずかえらない。お金くれなどという人にお金あげればもう立ち上がれないというのが本当です。
次回は返すのじゃなく必ず、もっと貸せ。もっとくれになる。
断れば深く恨む。

それでも借りたお金を奮励努力て返した人にはおおきな成長がある。
かく言う私も覚えがある。
七割方返したら後はもういいとその方から言われましたがそれでは人の道にもとります。絶対返します!そういう甘えは人間の値打ちを下げる。
絶対に下げます。
私がもういいよ、かえさなくて・・・で「そうですかぁ。ありがとう。たすかります。」と言われれば、もうその人はまともに相手にしません。
どんなに善良でも交際に値しない。
お金がないからじゃない!真義がないからです。
恩知らず、そして恥ということを知らぬ人間です。
返してしかも御礼までして本当です。

困って借金することだって人生にはあるでしょう。
でも、人として未来があるなら、たとえ御厚意でも絶対受けないことが大事だと考えます。
そういうところで人間の誠が見えてしまう。
それがわからないようなバカとは付き合いたくない。そんな人間と交際するくらいなら、カラスや雀にパンくずでもやっていっしょに遊んだほうがましです。

そんな経験から「宝くじでもあたれば・・・」などと口癖のように言うものにはあげることも貸すことすらもできません。
以前しらない人から「30万円貸してください。ないと困るんです!人助けがお寺の使命でしょう?」なんて驚く電話もらったけど、勿論貸しません。
名前も事情も言わない。聞いたら「言えば貸すのか」ときた!
そんなのお寺の使命じゃない。
「貸付業務はしていません。」と断った。

敢て言うなら真の人助けはその人が必要なお金が作れるよう導き、助言することでしょう。
昔の言葉に黙って500円ためてみろというのがある。今でいえば500万くらいですかね。そこには無限の教えがある。

とはいえ500万円なかなか大変ですが・・・(笑)