最近の既成教団の檀家離れ、法事離れもさることながら、近年、新宗教の衰退も相当なものだという。各教団とも必死の様相。
知る限りやめちゃった会員にさえチラシ1000枚くらい送ってきた例もある。
布教動員なんでしょう。
バブル時代のわけわからんテーマパークと同じ運命。
大乗である以上そうでなくてはいけない。
法事や葬式も結構ですが、人の生き方、あり方。
そのための仏法です。
時代的にも新宗教において超人の様な教祖様をあがめていく時代はもう終わったと言っていいでしょう。むしろリーダーは超人なんかでないほうがいいと思う。
宇宙から飛来したスーパーマンのようなリーダーはいらない。
だってそんなの真似できないでしょ。
仏教は崇拝の道ではない。救世主におすがりする信仰じゃない。
自分が歩む道です。その先達がリーダー。
予言とかも仏教においては全然大事な要件ではない。
たとえ世の中がどうなろうと。明日、世界が終わろうが人の在り方というものがそう変わるものではない。
むしろ最後まで人であることこそが寛容でしょう。
むしろ時々刻々変わりゆく世の中において人の在り方を一貫することこそ仏教に求められるべきでしょう。次に世の中に何が起こるのか?株や投資でもやってりゃそこは大事ですが仏法の教え自体に関係なし。
面白いことに日本においては受けを狙う新宗教は必ず悟りだとか法だとかを口にする。でも聞いてみると仏法とは何にも関係ない。
換骨脱胎です。
今時のいわゆるニューエイジだのスピリチュアリズムというものの多くも同じです。宗教という言葉を使わず同じようなスピリチュアルなスーパースターを求めていく傾向はあまり変わらないかなあ・・・。それでも教祖様になる方法を教えているようなところもあるからね。同じ運命。
大事なことは皆の心に響くからこそ大事。ということは皆と同じ心でないとダメ。理解なき追従は無意味。
心に響くなら誰が言ったかなんかは本当はどうでもいいやね。