金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

無用のプレゼント


こんな話があります。

ある熱心なクリスチャンのご婦人が病を得て命旦夕に迫った。
本人は覚悟してもう神の御元に行こうとしているのですが…どういうわけか気息延々死にきれない。
何回も今度こそという状況で 死にそうになってはまた息を吹き返す。
当人も周囲ももう精神的にくたびれ果てている。

後でわかったそうですがこの方の女学校からのお友達が熱心に聖天信仰していた。
それで何とか助け給えと必死に祈っていたそうなのです。
信仰しているお寺で頼んで浴油祈願もしていたそうです。

何かの拍子にそれが知れて「お気持ちはまことにありがたい限りだが、どうか、もうお祈りはやめてください。助からないというのでもう静かにいかせてあげたいので・・・」と家族から電話を頂き、理解してお祈りやめた。
次の日眠るように亡くなったそうです。

信仰は人それぞれ、時々本人に知らせずどうか祈祷して助けてあげて欲しいなどというご依頼もありますが、そういうプレゼントは基本的にしてはならないというのが私の考えです。

信仰はあくまで本人の心のもの。そこは薬や医療とは明確に違います。
本人に信仰がないなら祈祷など余計なお世話にすぎないのです。

元より信仰自体が問えない赤ちゃん幼児、認知症や意識のない方。犬や猫などの動物は別ですがそれ以外はいたしません。

もうとうになくなっても不思議でないお年の方が重篤に陥った場合、死なない人はいないから延命祈祷も何かこれという理由がないとしては無理にしてはならないと師から教えられたものです。
そういう無理は亡くなる人の来世によくないカルマになりかねないからだそうです。

これもだいぶ前ですが、知人の紹介できたという大凶方に越してしまったという方。一年後、家族の内のお母さまが言ったとおりの病になって重篤とあわててしらせてきた。
相談の折にはもちろん方位除け祈願の話もしましたが、その時は関心もなかったようで「方位が悪いなら注意します」でおしまいでした。
注意なんかできるものではありませんが、本人がそういうのでしつこくは言わずほっておいた。
今になって何とかして欲しいとのことでしたが、もうご高齢でもあるのでどうもできないと思う。念仏でもお唱えして後生のよいようにお祈りするほかないとお伝えました。
納得されたようでした。