なってきます。
法華経の薬草喩品では菩薩や声聞、縁覚たちを薬草に例えてますね。
仏弟子を育てるのもそんな感じかも。
そして、祈願なら「ああ、この人はやく芽を出して」とか…「どう花開くかな?」とか・・・言う風に。
でも、どんな枝ぶりになるのか?
どういう色合いの花がいくつ咲くのか?
そこまではわからない。幹を育てたり、花をさかせたりはできてもそこまでは自由にはできません。
そこも植物と一緒。
ましてや桜の木にモクレンの花を咲かせることや、桃の木に柿の実をならせるなんかできません。
だから、今日もその方の可能性という種や苗に水をやりつづけるのみ。
それしかできない。
それが私のお浴油かな。