今はそこまでする人がいるか否か知らないが、熱心な聖天信者は浴油が始まれば連日、朝参りして礼拝したものだ。
私の師匠の頃はまだそうした信仰の仕方をする人もいた。
朝来れねば夜間のお参り、お百度ふみ。
上野不忍池の 弁天浴酒でも、宇賀神信仰の篤信者であった濱地天松居士は連日七日間参上し最勝王経全10巻を読んで精進されたと聞く。
浴油の間は尊天は香油で湯あみなさる。浴酒なら宇賀神尊がお酒のお風呂に入られる。
そんな時、我々はただtだ祈願に妄執するのみならず心を湯あみして洗わねばならない。
その祈願から毒々しい心、まがまがしい心、自分の利益追求だけで凝り固まった穢れたものを拭い去って尊天の御前に出なくてはならない。
浴油の間はおのれが心こそ洗うべき期間ではあるまいか。