金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

因縁切りのおはなし

「悪因縁を切って欲しい」という方があります。
そう思う背景には何かが繰り返し起きるとか、いつまでも同じ悩みから抜けられない状況がある。
悩みのパターン化、恒常的な状況を人はそれを「因縁」と感じるようです。

勿論事態を好転させるためにこそ祈願はある。それはそう。

だけど正直言えるのは「因縁を切る」というそこは本人でないとできない。
他人が「はいわかりました!」と請け負ってスパスパと簡単にきれるもんじゃない。

時にそういうことも起きるように見えるけど…それはもう少しで因縁が切れようとしているときにはそうなる。
因縁があと少しで尽きるというとき、卵の中からヒナドリが出ようとしてるのを親鳥が外から殻をつついて助けるように。
そういうことなら可能です。
でもあくまでそれは補助であり状況次第です。もっと言えば結果論と言ってもいい。私の場合はね。

だからうちでは恒常的に仏教による方法で解脱を図ってもらう。

故に講員というスタイルで、准胝独部法などを指導しているわけです。
そんなのやりたくないから、私に因縁を切れと言っても私は外から殻をつつく手伝いしかできません。

ほかは一切何もできない。

たとえば因縁切りの凄い先生がどこそこにいて簡単に悪因縁が切れるのでそちらに行くというなら是非いったらいいと思うんです。
正直、それで本当に切れるならいいなと思う。是非そうすべきです。
私も知りたいから!
私の様な人間はそれでよそに人が行って信徒様が減るとか増えるとかよりか、どうしてそうなるのかのほうがなによりも知りたいんですね。

医者で言えば私がヘボ医者でよそにドンドンが流れる状況にあったとしましょう。
でもその流れる先に本当に治せる方法を体得する名医がいるのなら、流れた患者以上にその名医に興味持つタイプなんです。

是非お教えを請いたいからです❕

私は決して祈祷の達者でもなければ、ましてや大行者でもない。
だから、いつも新しいことが知りたい.。いつも前に進みたい。そういう人間です。探求の心はやまないのです。

でも私の知る限り、人に因縁を切ってくれというのは自分の代わりにトイレにいってくれというに等しい。目下はそういう認識でいます。

私の理解する範囲では、仏教的に言えば時間軸上にいる我々は過去のカルマの展開であり、また常に未来に向けてカルマを創造する存在でもある。
一時も休まず。
それは他人には変われない。ただ悪しきカルマを積まぬようにという仏の教えを伝えることはかろうじてできる。

それだけのことです。
如来の六大神通にも漏尽通アリと言えども、それは他人の煩悩を自在に尽くす力ではない。
まして凡夫の私には・・・
そもそも、そんなことができるなら仏道修行も教え自体もはいらないのでは。