金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

素になって学ぶ

昔ある禅僧のもとにエライ軍人さんが訪ねて来たといいます。

目的は何か?高僧ともにを語り教養、見識を深める。そんなところだったんでしょう。

 

f:id:konjichoin:20190930165202j:plain

でも客間に通されてもなかなかくだんの禅僧は出てこない。

 

出てくるのは小僧さんが時々来てお茶を入れるだけ。

それも飲めば次ぐ。飲めばまた次ぐの繰り返し。

 

そうこうするうちにやっと禅僧が見えて、一応の挨拶が終わった。

和尚は「閣下には今日は何用でおこしですかな?」

・・・「実はわたくし、今日は和尚になにか為になるお話を伺えると期待して参りました。」

「さようですか。為になる話ですか・・・」と、和尚もやおらまたお茶をそそごうとする。

「あ、和尚、私お茶はもうたくさんです。ハハハ。もうガポガポですわ。」

 

 

すると、和尚も笑って「でしょうなあ・・・。でもあなたの中身も同じでは?」と返したという。

世の中には教えを受けたいとか言いながら自分をひけらかしたい人は多いものです。

もういっぱいいっぱいのつもりで来て何が学べるというのでしょう?

素になって参入するところに学びはあるんですね。

 

同じ話が身近にもある。一万座の聖天供をされたという某大僧正のところにある聖天行者がたずねてきた。

この人は威張りで蘊蓄の垂れ流しのような人。

大僧正は一瞥でこれを見抜いた。

相手は名のある高僧を相手に知識をひけらかしたり自慢話でもしたいという気持ちがあったのだろうか。

挨拶して、向こうがひとしきりしゃべり終わるのを待って開口一番

「いやあ、せっかくお尋ね頂いたが、私はね、ただやってるだけでね。何も知らないんですよ。ただ教えられたまましてるだけなのでね。あ、これお土産です。」と言って菓子折りを持たしてすぐに返してしまった。

 

この人間はくだんの軍人さんよりずっと格下だったのかもしれない。

大僧正は何も語るに及ばずと思われたのだろう。