礦石集にはこんな話があります。
この話は憑霊の現場を知る者のみのリアルさが伝わってくる。到底つくり話ではないと思う。
戸田という武士があった、昔は大身の武士であったが今は家禄も減り昔の栄華もない。
娘は四人あり一番下が男子であった。一番上は既に嫁いでいる。
この戸田家の先祖が大昔に過失が有ったために首打った家臣の田中彌左衛門というものがあったという。その霊がこの家の二番目である16歳の娘に乗り移ったのである。
また末の男子も病にかかって重篤になった。
自ら名を名乗りその昔のことをアリアリと語る。
どうにもならず修験者10人ばかり呼んで祈らせたが一向に退散しない。
さらに満清寺という僧に三日間記念させたが、治るどころか今度は下の三名もいちどきに物狂いとなった。
かくするうちにさらに奇怪なことはこの田中と名乗る霊は「身どもの罪は重々承知。実はこちらに恨みごとをいうためにまかりこしたのではござらぬ。」という。
「たまたま御令嬢に邪気が乗り移って憑霊の態となったため、それに乗して参上したもので、実は追善供養をお頼みしたい。」とのこと。
さらに田中が言うにはこの邪鬼は手ごわく並の修験者や僧侶の及ぶところではない。
発光寺の性光阿闍梨を頼むべしという。
ついては自分のためにも光明真言の護摩を是非その阿闍梨に修せられたいという。
実はこの性光阿闍梨は著者である蓮躰さんの無二の友です。
さて性光阿闍梨を呼んでくると、彼に田中の霊は「私は来年50回忌です。もし光明真言のお護摩をしていただくなら、私も邪鬼ともども去ることができます。」と頼む。
阿闍梨はこれをきくと祈願の準備を始め、障子を隔てて大仏頂、大随求の真言を読み始めた。
これを聞くと三人の娘たちは一時に立ち上がって手を振り、大いに荒れた。
「殿様の東下り」などとと大きな声で叫び、笑い、もう手の付けようもない。
頭髪はそびえたち、眦は赤く染まって近所にまで響き渡るほどの大声を出した。
このありさまに当主は肝を冷やし、「これはとてものことに邪鬼などではない。悪い狐の仕業ではないのか?」と狼狽えて、狐落としが得意という若宮の肥前なる神主を呼んだ。
肥前は髭が払子をかけたるが如く麗しい老齢の神主であったが、娘らは「先の満清寺の上人は我を放すことあたわずとも、なお、おのれに勝ること100倍。それをおのれごときが我らを狐と侮って退けられるのか?去らしめるなら去らしてみよ!その髭引き抜いてくれん。」と一喝され、たまげて引き下がった。
さらに「これは我が自慢するにあらず。阿闍梨との約束があれば、果たされれば邪鬼ともども去るべし。」と語った。
かくして阿闍梨は夜八時より翌朝二時ころまで間断なく大仏頂、大随求の陀羅尼を読み続けると、霊は果たして去っていった。
のちに性光阿闍梨は光明真言の護摩を修行して田中彌座衛門の追善を祈ったのはいうまでもない。
今までは不信仰なれどもこの話を伝え聞いて初めて仏教のありがたさを信じる人もいた。
蓮躰は大仏頂と隋求陀羅尼がよく霊の障りを除くことは儀軌にもあきらかで、もし苦しむものあれば真言師は戒律を重んじたうえ如法に唱えるがいい
と言っています。