八大竜王様の法楽に法華経を毎朝日に一巻ずつ読んで今日は第三巻 化城喩品までおわった。
リーダーの大菩薩が旅団をひきいて途中に神通力で城を作り、皆を憩わせて再出発。
本当の目的地へいざなう話。だから化城つまり幻の城の喩のお経です。
これって声聞とか縁覚の教えを説いてひとたび可能性のある小乗の成果を説き、それから一仏乗という大乗の本当の目的、全ての衆生が成仏する目的にいざなうというのがもともとの話ですが・・・
これは我々の現世利益信仰も同じ。聖天様はこれさえあれば幸せというところへ信ずるもの連れていく。
お金でも名誉でも好きなひとでも車でもお家でも・・・
でもそこはほんとの人生の目的じゃないから、幻。
そこで本当に満足できる、万々歳なら仏教はいらない。
それで満足できるようには人間はできていない。
元気なうちはそれでいい、むしろ幻の城も絶対に必要だ。
でもそういう財色食名睡の五欲に耽溺した人でも年を取ればそういうものはだんだん楽しめなくなる。健康でいてもしないには負担にすらなる。
どんな人でも最期にはベッドの上で身動きならず死ぬだけ。
え~、聖天様にズット祈願しているんですが、欲しいものが手に入らないんですけど・・・という人。
その人は聖天様から「おい、お前が欲しがってるそれは幻だぞ。いいかげん悟って前に進めよ。」と言われているのかもしれない。
つまりそれを悟りやすい人なんだと思う。
キリストの言う「人はパンのみにて生きるに非ず。」という言葉
政治や国際情勢の話はほんとはあんまり好きじゃないのですが・・・パンのみにて生きるものというの固定した考えが唯物論、共産主義。
勿論パンも必要だ。パンが手に入らなければまずパンが欲しいということになる。
生き物ですから。
だが逆にパン以外は幻とおしえてしまった共産主義は偉大な中国の心をさえも殺した。
それで文革やって二度と手に入らない大事なものをぶっこわしてしまった。
ロシヤでは殺しきれなったので、共産主義からはなれて瞬く間、二年のうちに国民の7割がロシヤ正教に帰依した。
だが中国にも実は死んでいない信仰の心は奥にあるだろう。
共産主義は結局宗教を殺しきれていない。
現世利益から道を求める世界に到るように、中国という国も役目を終えた「共産主義」というまぼろしの城から出るべき時はきているのではないでしょうか。