大黒幣をお祀りされた方から
「大黒天さま(御幣)に毎日手を合わせてお線香とローソクをお供えしております。
ありがたいご縁をありがとうございました
大黒天さまの御幣を頂きましてから、不思議と怒りと無縁になりつつあります。以前なら腹をたてていたことも無関心になり腹を立てることもなくなりました。大黒天さまが心を正してくださるのだと思います。これからも気づきを大切にし手を合わせていただこうと思います。
合掌」
オン ニコニコ ハラタテマイゾヤ ソワカという面白い真言を書いたお姿絵を見たことがあります。
怒りが減ったのは円満なお大黒様にこのかたが感応道交されたのでしょう。
大黒さまは摩訶伽羅天という怖い神様でしたが、日本では大国主様のお姿を借りて柔和なニコニコの神様になりました。
仏像を祭る場合は同じ尊でも憤怒尊と寂静尊ではお働きは大きく変わります。
ニコニコ顔の仏さまでも下品な笑いの仏像や媚びたような笑いのものは駄目です。
憤怒尊でも酒飲みの親父が怒鳴っているような目に脅迫めいた怒気をこめたものはいけません。脅かすのは恐怖の裏返しで仏の怒りではない。
仏の怒りは不正への呵責です。
ただ歯を見せて笑う仏像もありますがこれは事実上は憤怒尊です。
江戸期の弁財天像でそういう尊像をいくつか見たことがあります。かえって怖い感じです。
降三世明王などは中央面などは正しくはそう作ります。「笑怒相」と言います。
最近の仏像はそういうのは皆無でただ皆怒っている、バカの一つ覚えだ。
以前、こういう仏像の話をしたら「どんな仏像でもありがたいのだからそんな差別は言っちゃだめですよ」という投稿を頂いたが、それなら逆に仏像ならどんなでもいいのだろうか。
そうではないだろう。
仏像は信仰を磨くための存在だ、しかし、それはほとけそのものではない。ほとけににせて精魂込めてつくるものでそれを作ることはそのまま修行なはずだ。
ゆえに思う。
いい加減なものならなにも置かないでイメージするだけのほうの方がはるかにましだ。
ヘンテコなものはかえって意密が崩れて修法しにくい。