聖天供やりたいという弟子がいます。
もうじき十一面供千座終了する。
次はいよいよ華水供になる。
もとより聖天供したので十一面供1000座に挑んだのだろうから。するな・・・とはいわないが覚悟がいる。
今までやって失敗した者もいる。
聖天尊はその人の持つ運の力を何倍にもするので・・・
自分がすごくなったように勘違いしやすいがそうじゃない。
そう思って傲慢になったらもうおしまいです。
まあ。これは聖天に限りませんが、
私ももともと生意気で慎みのない浅はかな人間ですが・・・・
私には幸いと言ってはいけませんが、反面教師で慎まずに滅んで行った人の背中を見ながら行者として育ってきたのでそこは慎重に考えてしまうし、そうあるべきだと思う。
特に口を慎まないものは滅ぶとある大僧正のお言葉だが実際そうだなあと思います。
生意気になったらダメだね。
言葉は慎重に選ばないといけませんね。
その意味において私に大変幸せなことの今一つは弁才天を守護神として頂いていることかもしれません。
弁才天は言語の神ですから。
音楽の神様でもあるけどそちらはさっぱりで声明も歌もてんでお話にならないし、楽器ときたら…ま。お経の太鼓がせいぜいです。
でも文筆や会話ではご加護を頂いているように思って常々感謝しています。
弁才天の陰ながらの守護があってこそ、私のようなものでもなんとか聖天尊を拝ませていただいていると私は思っております。
南無宇賀神将大弁才天女!