普賢十大願の最期は「普皆回向」
普く皆回向する。
徳行の功徳は全部皆さんに回し向ける。
何にも残さない。全部上げちゃう。
こういうと心理学で教えてもらった「受け取らない」「受け取ってはいけない」につながってしまいそうに思う人もいるかもしれません。
受け取れないことは自己否定、自己の無価値観のスタイルをとった防衛。
「いえいえ、私なんて・・・とんでもない」と言って、かえって受け取らないことで責任回避や自己防衛をはかる。人間不信から出られない1スタイルに過ぎない。
人間なんてどこまでも自分は捨てられないんだね。本当は。
でも、そうなると永遠に受け取れない。お礼をもらうことが負い目になるという思い込み。
ほしいけど取れない。飢餓の境涯。
自分じゃ立派な行為とか思って自己満足するのだけどこれ一種の「餓鬼道」なんです。
欲望に強くこだわる境涯が餓鬼ですからね。
でも、ここで言っているのはそういうのと真反対の構造です。
全部回向しても決して悪くはならない。
皆回し向けたら、その功徳は倍増するんですね。相手もよくなる。自分もよくなる。
いい意味の投資です。
何倍にもなって戻ってくる。
地蔵本願経はどんなに回向しても七割は自分の所に残るとしている。
でも、大事なのは自分と他人を分けていないこころ。
菩薩には自利なしという。この自利が何のは自己否定じゃない。
自利があってはいけないんじゃない。利他も自利もない。
みんなでよくなる。
それが本当によくなること。
自分も抜かさないでください。
本当のみんなはじぶんもいれてみんなです。