子供のころ最初に見た映画は怪獣映画「モスラ」
当時は4歳でしたかね。
巨大な昆虫を島民が守護神とあがめ拝む姿は印象的でした。
昆虫大好きな私はこの映画もモスラも大好きになった。
(古関裕而先生のモスラの歌や音楽も抜群です!)
モスラの歌 フルVer. ザ・ピーナッツ ('1961モスラより) MOTHRA 古関裕而
ある意味一番古い宗教の記憶かもしれません。
モスラは 小美人をさらい、傲慢にインファント島で水爆実験をボカスカくりかえすロリシカの都市を木っ端みじんに制裁する神。このロリシカ共和国って当時の二大核兵器保有国アメリカとロシヤ(当時はソビエト)を合わせた造語なんですね。
私にとっては「モスラ」はのちに見たチャールトンヘストンの「十戒」や長谷川一夫の「日蓮と蒙古大襲来」あるいは「大魔神」と同じような範疇の宗教映画でした。
このころは神仏はひたすら畏敬する存在。
そうして密教のことを聞いた学生時代。
最初大いに勘違いしてフ~ン凄いね!密教って三密加持して神仏を動かせるんだと思った。
だから神仏のイメージはある意味、鉄人28号みたいに感じられた。
島民のモスラにするようにひたすらあがめる存在からは変化をしました。
操縦型。
いわゆる使役とか召喚とかいうので今でもそう思っている人いますね。
でも密教を実際に学んですぐに「入我我入」の話を聞いてからそうではなく。マジンガーZみたいに一体型のイメージに変わりました。
師匠も「あのほら、漫画にあるロボットに乗り込んで戦うやつあるでしょ。御祈祷はあんな感じだけどね…ただ、違うのはそのロボット操縦している自分にも実は本尊が乗って操縦してるんだね。」
これ、相互に渉入して重々なりと言う奴でしょう。
今はどうかというと再び人為的なものはどんどんなくなっていってわたし自身のできることはほとんどなにもない。
いわば「モスラ」の神観念に戻りつつある。
難しいことは一切考えずにインファント等の島民みたいに神仏にひれ伏しお祈りするだけ。
「モスラ」が目覚めて助けに飛び立ってくれるまで。
そんな感じです。
私が思うに「信仰」とはつきつめれば「謙虚」なりです。
恐れを知らぬところに謙虚も信仰もありはしない。