加持力と超能力は別なものです。
超能力はだいたい生まれつき備わっている。
練習したとて知れたもので身には就かない。
超能力と言えばお釈迦様の十大弟子でも神通第一の目連尊者がいます。
伝説では彼は母が餓鬼道に出していると天眼通で知り、あるいは難陀抜難陀の二竜王を懲らして仏道に引き入れました。
でも残念ながら異教徒のために無惨に殺された。
一説には彼の親友・般若心経で知られる舎利弗尊者も一緒に亡くなったという。
金光明経や大般涅槃経を訳出した曇無讖も一種の超能力者で「大咒師」といわれ、山中に王のために泉を沸かしたり、庶民のためには縁結びの咒法を施すなどした人で、のちに河西国で大般涅槃経の訳出に没頭しましたが、その絶大な咒力の評判を聞いた魏の国より彼を渡すよう催促があり、渡さねば兵を送って国を攻めるとまで言ってきた。
鳩摩羅什もそんな逸話がありますね。鳩摩羅什は学僧でしたが彼を取り合って西域の国々が合戦をした。
仏教を欲して戦争するのは矛盾の極みですが・・・
魏の恐喝に河西国王は泣く泣く彼を手放し義の国に送ることにしましたが曇無讖は「おそらく旅の途中で私は死ぬだろう、でもこれも私の宿業の然らしむるところであれば・・・」と言って出発しました。
果たして40里をすぎたあたりで河西王は刺客を送り、彼を殺害したと言います。
このように超能力者でも業は越えられない。
むしろ数奇な運命に無く人も多い。
これに対し加持力は仏とつながる力なので程度の差はあっても誰でも可能だし、心正しく修するならそれは幸福につながる力であります。