金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

盲僧琵琶の地神和讃から

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今朝は大森先生が知人や荒神のことにふれておらるので再び、九州北部の盲僧琵琶のおはなし。

その世界観では地神は荒神と一つで、地神の怒れる姿が荒神のようである。

 

大変古いビデオであり、現在はこのようなスタイルの祭礼は行われていないかもしれない。(盲僧で琵琶を弾く人がもういないと思う)

またそこで唱える和讃も古いものであり、現代感覚では受け入れがたい部分も多々あるが何分、江戸時代以前から続くものと理解されたい。

よくわからない部分もあるのだが、私が聞き取った限りでは

 

「口には五穀の種ふくむ

春 耕して秋 実る

薬師じゅこうの身に至るまで

地神の体より生ずれど

それを食するものは皆

母の乳房を吸う如し

 

それ人間と生まれれば神や仏の誓いにて

自然と備わる体也

ことに農業をする民は

鋤と鍬とにいとまなく

大地をうがち種をまく

 

五穀 野菜にいたるまでそれに不浄は隠れども

これみな(地神)所領の種なれば

さらに憎しとおぼされぬ

(大地の神は)穢れ非ざるそのために七尺去りて守り給う

 

十仏 神通、密の法ひとつかけても祟らしき

 愚痴文盲のその人が法をそしりてくらませる

濁りゆく世の有様は大地の愛を汚す罪

八万由旬の奈落まで響き渡りて恐ろしや

 

それゆえに地神の恩をうけざれば

たとえ子供をもうけても不器量 嫉み 愚痴 愚鈍

常に病の絶え間なく

短命 不具の死に及ぶ

如来大悲の手をもれて

修羅道 餓鬼や畜生や無間地獄に沈む也

生きとせ生きるものは皆堅牢地神のお慈悲をうけぬものこそなかりけり

信じて疑うこころなく日々安楽に・・・」

というようである。

 

書いてあることに抵抗ある人は無論あるだろう。

「たとえ子供をもうけても不器量 粗面 愚痴愚鈍

常に病の絶え間なく

短命 不具の死に及ぶ」などと言っては現代ではとても穏やかではあるまい。

 

文面的な表現は私もそうは思うが、

同時にここには自然を地神として敬い、それが常に大事であると心得人間は農耕をせねばならないということを厳しく警告している自然尊重の思想がみられる。

大地は我々の食するものの源であり、それが汚されればすなわち私たちにもその影響は及ぶ。

私たちの体は大地と等しいのである。この祭文に流れる精神はそれだ。

 

10分に東京ドーム2個分の森林が失われる毎日である。

思うにこれは「地神祭文」の言うむやみに地神を汚す行いであり、その行いは大きな自然の災いを呼ぶと思う。

海も山も大地もその恵みがそのままに仏の御慈悲である。

 このままではまさに

「濁りゆく世の有様は大地の愛を汚す罪

八万由旬の奈落まで響き渡りて恐しや」と思う。

 

昨日、テレビで同時に森を復興する運動を行う人々も見た。

アマゾンの先住民の方々の知恵も借りて荒涼とした大地を森に戻そうというのである。

 

きわめて心強い。