仏教を「勉強したい」という人はおおむね続かない。
そもそも仏教を専門的に勉強させるだけの教養は残念だが私にはない。
学者でも教師でもないし。
修行というのは勉強と違う。
ある人物が行者になりたいので仏教大学に行きたいと言ったら、わが師は笑って「学問したいだけならいいが、そんなことで行者にはなれない。大学院でてもなれない。」といった。
いわれた人はなぜなのか理解できないようだったが私はよくわかる。
仏教の学問がいけないわけはない。
だが、学問から出発するのでなく、世間から出発しなくては行者の学びは成り立たない。
師は常々むしろ大学に行くなら普通の社会についての学問を学ぶほうがいいとさえ言った。
「本の中身しか知らない世間知らずの坊さんになってはだめだ。」とも言った。
本当に疑問に思うことを仏教に問う。そこからがはじまりだ。
修行には自己改造を伴うものだ。自己変容がない修行はあり得ない。
だからダメな自分という自覚があるほうが前にすすめる。
自分のダメが見えない人はその立ち位置のままで勉強やスキルを求めるからダメ。
自分のダメが見えない人は自分は正しいと思うから素直さがない。
自我を盾に頑張ってしまう。
プラスアルファの気持ちでくるのは修行になりません。
その点プラスアルファでなく何一つこれという知恵も能力もない自分はよかったのかもしれない。少なくとも増上慢にはなりようがない。
威張るものも守るものも何も持ち合わせはないのだもの。
だから「仏教を勉強したいんです」という人には得度なんか勧めない。
というより断る。
自分で勉強したほうがいいよ。
いい本もあるし、市民講座もある。