しゃかりきというか、何でも一生懸命な人がいる。
念誦でも読経でもお山参り、巡礼でももうどんな行でもさっさとこなしてくる。
このお経を百巻読めと言えば数日で終わる。念誦を10万遍させてもあっという間にやる。それでさあ、次は何をしましょうという人。
この人の言うことはいつも同じ。「次は何したらいいですか?」
それだけできること自体が素晴らしいが勘違いしている場合も多い。
もっと悪いいいかたすれば行をなめてますね。
だから、「そうねえ、次は向こう三年間、なんにもしないとうのをしてもらおうか。」と言おうかとすら思う。
冗談ではない。することだけが修行ではない。一切修行しないこともまた修行なのだ。
だから、行は何か目的に向かう過程じゃないんだね。
行自体が目的なんだけどそこが理解できないといずれの行も行としては意味はない。