発覚した事件だけではなく。それ以前に同じフロアで何十人も不審死。それを法廷で問われても「それは私ではない」ではなく、「話したくない」といいはなつこの女。
女の言う通り「死んで詫びたい」ならぜひ死んでもらいたいが、図々しく「はなしたくない」など自己弁護のものいいをする懺悔のなさからはただのジェスチャーとしか思えない。
裁判長に問いたい。
彼女がミスマッチな仕事をしたために結果ストレスでこういうことをしてしまったは許せる余地があるということですか?
死んだ人や遺族はそれで了見せよというのでしょうか。
そもそも仕事のストレスで沢山人を殺めてもやむなしと判断するという裁判長様がよりストレスの塊の刑務所に彼女を送るのはなぜ?矛盾だよ。
どうせなら無罪にしてやれば?娑婆はおそらくは刑務所より過酷かもよ。
わざわざ治すために入院させた病院で皆殺されたんだよ。
あそこの病院を選びさえしなければという思いで遺族は血の涙を流し一生後悔するだろう。
だが誰もそんなバケモノがいるとは知らない。
コイツには生きていくならずうっと自らの罪におののき生き地獄の気持ちを味わってもらわないと納得できないだろう。
本当に死にたいと思うのは今ではなくこれからにしてもらいたいものだ。
酷い言い方ですか?
無慈悲ですか?
わたしは悪を憎むことは大事だと考えています。