「一昨日の夜、キキが嘔吐と下痢をしました。
人間で言えば80代のお婆さん犬、季節の変わり目の天候が影響したのかもしれません。
さっそくかかりつけの統合医療の動物病院でホモトキシコロジーの注射と投薬をしていただき、おかげさまで1日で回復しました。幸い今回もステロイドと抗生剤無しで治りました。
これも馬頭観音様の有り難いご加護と、松江堂さんの冬虫夏草のおかげと感謝しています。
羽田先生、いつもキキのために一生懸命拝んで下さり本当にありがとうございます。」
信仰のない人から見れば何も信仰の影のように思うのはどうなのだろうと思うでしょうが、信仰とはそういう生き方です。
ご利益なのか否かはその方の感じ方です。証明の仕様はない。
大部以前、講員制度のないころ、病気平癒を何か月か祈願していたら治ったからもういいという。そこでお礼参りしたらどうか?と言ったら「祈願が効いて治ったのかどうかわからないので」との話。
ではこの人は祈願の効果はどういう場合あったと思うんでしょうね。
思うにこの考えでは祈願を頼む資格がない。
その後、今度は癌になったので祈ってほしいというので
「医者に頼めばいいでしょう。それで十分では?
あなたの話では前回、祈願の効果は別にないという認識でしたよね。効果がないということを重ねてする必要はないでしょう。こちらからもそういう無意味だとわかり切ったことは遠慮させてもらいます。」と言っておいた。
その後どうなったか?知りません。