死の儀礼、葬儀やお墓についてはあれこれ悩みが付随する。
葬儀についてあれでよかったのか・・・?
あるいは亡くなった家族との確執があって死後に後悔している人。
確執までいかなくても何かの後悔があることは多い。
今になって「ああすればよかった」とか、「あんなこというんじゃなかった」とか
色々ある。
でも亡くなった方はもういません。当たり前です。
その確執も想いもすべてあなたの心の中にしかない。
あなたの心が曼荼羅だ。
あなたの心の闇を払うためには回向以外できることは何もない。
だから回向こそして心の闇を払う。曼荼羅をあらわす。
一つのやり方を紹介します。
まず正座でも半跏座でもいいでですから安定して座る。椅子でもいいです。
手は定印にして仰いだ左手の上に仰いだ右手を重ね、親指が向き合うようにします。指先は着けません。
心の中に曼荼羅世界があり、そのなかにひとつの月輪があるとします。
その月の輪のうちに蓮の台があります。その上に仏様のすがたをした故人を観想します。
ここでほとけ様と故人を重ね合わす心の作業をします。
仏様は宗旨のご本尊でも、観音様までもお地蔵様でも信仰している不動様でも構いません。※ 天尊はここでは観想しません。
亡くなった人のイメージに合った仏様でもいいです。
ご宗旨によって念仏、題目、真言など自由にお唱えします。お経でおいいです。
宗派に関係なく好きなお唱え事をしてもかまいません。例えば観音様の真言でもいいでしょう。
そういうお唱え事のが習慣のない宗派なら南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧とくりかえし唱えます。
繰り返すことにより故人は仏壇やお墓ではなく、それ以上にいつもあなた自身の心の曼陀羅にいると思えるようになります。
何か許してほしいことがあるならそう呼びかけましょう。
きっと許してくださいます。だって仏様ですもの。
こういうと「ただの手前勝手な空想で悦にいっているだけの愚かな行為」と思うかもしれませんがそうではないのです。
霊はすでに私たちのような肉体はない。我々の憶念する心の感応によってその霊体も変化し成仏への道に移動します。
特に不遇な状態の霊は自分で上に上がる修行はできがたいのです。
だから供養や回向は至って大事なのです。我々の心に触れることが大事なのです。
だからこちらから触れる。
密教のお施餓鬼なども餓鬼がどんどんきれいに立派な人間のすがたに帰って天や浄土へ行くと観想して送ってあげるのです。それに霊は同調して成仏します。