昔の名家などでは末の男子が一族の菩提のために出家するということがありました。
ですが本来は出家は誰か特定の人のためにするものではない。
先祖のために出家したいなどというのは本来の意味からすれば違うのです。
出家するときは
流転三界中
恩愛不能断
棄恩入無為
真実報恩者
と唱えます。
我らは輪廻業報により三界に流転し、父母の恩、背間のあらゆる恩は断ちがたい存在だ。だが、それを捨てて真如の道を求める。それこそが真実に縁者の恩を報いることとなるというのがその趣旨です。
ここには「誰かのため」、「あの方のため」というしがらみを全て捨て一切衆生に等しく利益をする姿勢と
今一つ
それらの方々のおかげ様で今、仏法の門にたてたという深い感謝があります。
それこそが恩の中の大恩なのだという認識がなくてはならない。
「○○のために出家して供養して成仏させてあげるのだ。」などというのは傲慢というものです。
それは真実報恩者の心ではありません。
在家の方は先祖供養。
出家は一切供養のうちの先祖供養です。