ある信者さんと縁の切れた話。
この信者さんは配偶者の親類のことで病気祈願を頼んできた。
かなりご高齢なので一回は祈るがあとはもう運に任せるほかないといっておいた。
こういう方の場合、ご祈祷しても糠に釘の感覚がするのだ。
それはもう別世界への旅立ちが始まっている。止めることは不可能だ。
実質祈るべき命自体がもうない。日没の最後の余光のようなものだ。
だからそういうのだ。
その後、二度目を頼んできたのでこの時は多忙なので弟子を紹介した。
そのご病人自体は講員ではない。
三度目にはもう寿命だから静かに逝くのがいいのでは・・・と断ったが、どうしてもというので目の前で御祈願することにした。
「この間拝んでもらってどうなった?」
「先生が拝んでもらえと言うからそうしたけど、かえって悪くなったんです。」
これには内心腹が立った。
「だからお前がしろ」といいたいのだろう。
この人は相手にことをやらせたいためにそういう物言いをする癖があるのだ。
そのくせ、そこには何度も相談や祈願の電話をしていたらしい。
それにしても90歳をとうに超えた親類の命をなぜこうも延ばしたいのか?それも自分の親類ではなく、配偶者の親類だ。直に関係はない。
後でわかったがどうやら、身寄りのないその人の遺産が自分にもらえるのではないかと期待していたようだ。
だから今死なれては困るのだろう。
だがその人には相続権はないのだ。わかっているのだろうか。
前にもそんなことを画策して知的障害の親類に施設の人の目を盗み、ハンコを押させて、遺産をもらおうというような計画を私に「どうでしょうか?」と打ち明けたこともあった。
「!誰がそんなことをするのか?犯罪ではないか!」というと、「友達がそうすればいいと言うので」・・・とのこと。
「そんなバカな友人とは即座に縁切りなさい!犯罪者になりたいのですか?」
「私の友達を馬鹿とか呼ばないでくれますか?」
「笑わすのもたいがいにしてください。それを馬鹿というのでないなら馬鹿という言葉は地上にないわ!」と言って返したこともあるが理解しなかったようだ。
さて拝んだ結果であるが、壇から降りるや否や病院から電話が来て「今、亡くなりました」といってきた。
私としてはそうなるのは必定と思っていた。
本人は相当落胆したようだ。「気持ちを組んで拝んだが初めからもはや助かると思って拝んでいない。お金はいらないですよ。」と言ったが「,いやそうはいかない」と言ってそれはきっちり払って帰えられた。
だが、それ以後、何の音沙汰もなくこちらから電話してもいないのか、出ないのか・・・相当ショックな様子ではあったが・・・
ある意味それもなりゆきと思ってそのまま縁を切った。
自分の用があるときはやいのやいのと押しかけ、気分次第で電話も出ないのはいくらなんでも失礼だろう。
おそらく、この件で向こうももう縁を断ちたいのだろうから・・・講員の更新案内は送らなかった。
こういう人とは私も正直これ以上は関わりたくない。
後日私の弟子に「あなたが先生に私の悪口を言ったでしょう。だから縁切られた。」と電話が来たそうだ。
そう思うなら自分で電話でもかけてくればいいだろうに。
悪口言っていたのはそちらじゃないのかな?
何年もたつが万一何か言ってきたとしても受け入れる気はさらさらない。