こんな電話がありました。
まったく知らない方からの電話「聖天さまを信仰してるんですが、聖天様って何人もいるんですか?」
この人なぜそんなこと聞くのか・・・?
ある別な聖天さんの信者さんから「うちの信仰しているお寺の聖天様は他の聖天様なんかとは断然違う別格だ。御利益が違う。」
そういう聖天様がいると聞いたそうです。
それで疑問に思いだしたのだそうです。
それで自分が信仰しているお寺のお坊さんにそれを聞いたら「まあ。祀っているところにより多少の違いはあるでしょうが聖天様は聖天様でしょう。」
私も基本そう思う。
しかしこういうことはいえましょう。
例えば成田のお不動様と近所の菩提寺のお不動様。
お不動様は同じ、ただ縁が違う。
成田山は厄除けで有名。今年は厄年だ。
だからわざわざ祈願に成田様に行くんだね。
それで祈願がかなって無事一年たったら、同じお不動様ですから成田山まで行かないで近所にお礼参りすればいいのか。そういう質問した人がいる。
それは駄目です。
それは縁が違う。
そこを同じだというならなぜ祈願の時だけわざわざ成田にお参りに行ったんだということになる。道理に合わない。
違いは縁だけですが縁は大事です。
仏教は縁の教えですから。
例えば私が拝む聖天様も名刹の聖天様も元は同じです。
でも古刹の聖天様は名僧知識が何百年も拝んできた。
そこをいえばうちは私一代ですから知れたものです。(笑)
そこに仏縁の違いはある。
だから「聖天信仰の手引き」で林屋先生も、どこの聖天様がいいのか迷うなら。昔からなるべく多く拝まれている聖天様がいいといわれる。
でもそれにもまして一番大事なのは自分との縁です。
世の中に聖天様の霊場はいろいろある。
でもどこにどんな有難い聖天様がいてもご縁を頂いた方こそが自分の信仰すべき聖天様です。
聞けばその方はいままでずいぶん信仰しているお寺の聖天様に助けられてきたという。
それならそのお寺の聖天様がその人に最高の聖天様だよね。
何をいまさら迷うんだろう?もう素晴らしい縁ができてるじゃないか!
そのうえもし、「最高の聖天様」などという戯言に迷うとすればそれは貪りの心のなせる業だ。
それでは自分のお世話になっている聖天さまに申し訳ない。
そういうもの欲しい感謝のない心は禍を呼ぶこそすれ、よくなる道なんかあるわけないと思いますね。