人の口は便利なもので自分の事情しか語らない。
恥ずかしいことだが私もたぶん同じようなものだろう。
だから事情を聴いても人は自分びいきで話するから本当の本当はわからず祈願に臨むこともある。
そんなことで昔は懐疑的に思いながら祈祷することもあったが・・・
今はそう思わない。
お話は聞くがあんまり煩瑣で細かいことをごちゃごちゃ言われても実際はそんなのは関係ないのだ。
なぜなら自分の考えは措いて天尊から見て一番良い形にということで祈っているからです。
私の知るあるお寺でお願い事は何ですか?と言ったら山ほど祈願書いてきた人いたそうです。
気持ちはわかるけどね。尊天様にお願いはできても注文なんかできません。