崇徳上皇、平将門、菅原道真は御霊神として有名ですが・・・
例えば菅原道真、太宰府に讒言で流されて祟り神になった。
当時の天台座主法力無比の尊意僧正でも道真の怨霊を退けられなかった。
法性坊尊意はのちに妙義山大権現になる。それほどの人物だ。
確かに道真さんは当時一流の教養人でもあり、偉大な方だがなぜ霊的にそんなに強いのか?当時の一流の術者により霊的に幾重にも結界されている宮中を焼亡し、怨敵に報復して殺せたのか。
実はこれは道真公一人ではなく、彼を旗頭にしている怨霊集団の力があるからだ。
つまりその実態は道真公だけではない。無数のまつろわぬ怨霊の軍団が集合体となったものが怨霊としての天満宮だ。その顔が道真公というわけだ。
これは崇徳上皇や平将門も同じ。
彼らはリベンジの旗頭なのだ。背後には無数の霊はいる。だから強力だ。
人間一人の力など知れている。
例えば歴史の上で織田信長の力といえば、人間信長ひとりの力ではない。織田軍団麾下の無数の武将たち、足輕、雑兵に至るまでを含むはずだ。
それが「織田信長」でしょう。
国家規模の祟りにもそうした名目上の旗頭、代表が必要なのだ。ただ集まっても烏合の衆で終わる。
たとえばずっと小粒だが三島由紀夫さんをしのぶ三島忌なども続けていけばその霊的な力は育っていく。三島さんの主義主張が好きな人の霊も集まる。それが集まればいわゆる護国の鬼的なものを生むかもね。
だから構造的に言うなら天満宮はもはや、道真公であって道真公個人ではない存在だ。
いつの間にか本人がどっかに行ってしまって名目のもとに動く霊たちだけが残っている可能性もある。
歴史上の神と言われる人物は皆そうだ。
だがあくまで天満宮は菅原道真というスタイルは残る。
そこには道真公のスタイルや性格が受け継がれて天満宮の習合無意識をずっと保存していくのだ。
つまり株式会社「天満宮」といったものだ。創業者がいまだに社長かどうか・・・そこはわかりませんが続いていく。
もっというならその人の名目で集まった習合無意識が成長し続けて存続しているというのが実態である。
そして、それを言うならと東照大権現でも何とか大師でも同じことだ。