昔ならさしずめ織田信長、ヒットラー、今の世界規模ならプーチン氏といったところか。
皆殺しを行う人たち。
こういう暴虐な人間は殺されたものの怨念や遺族の恨みはすさまじいだろうが、あにはからんや容易には倒れない。
織田信長なんか。周辺の敵対大名はお抱えの術者たちにみんなでさぞ死ね!死ね!と調伏させたことだろう。
隆 慶一郎氏の小説「風の呪殺陣」では比叡山焼き討ちを逃れた若き修行僧が信長打倒のため、魔の修行を積んで信長を呪殺しようとするが全然通用しない。
それで狙いを変えて明智光秀を恐怖に陥れ、信長を殺さしめるというストーリーだ。
実際に信長にちょっとやそっとの呪詛は聞かないだろう。
なぜなら型破りの織田信長という人間の気性もさりながら、織田信長という人間を崇敬するものの想いもまた少なくないからだ。
そういうものの強き想いこそが霊的防衛名なのだ。
悪盛んなれば天に勝つとはこういうことだ。
相手は個人ではなく、それを取り巻く習合無意識なのだ。だから手ごわい!
織田信長でもプーチンでも霊的防衛の強烈無比な手段を心得ているわけじゃない。
プーチンにも狂気の崇拝者が大勢いる。「プーチン万歳!ウクライナ人なんか皆殺しにしろ」というものもいるだろう
人の想いこそ防衛だ。
味方の強いものはそういう意味では霊的戦いに戦わずして勝てる。
ただし、信長やヒットラーもそうだったが、そういうファナティズム的崇拝はそうそう続かない。
真に勝てるのは徳による行いのみだと思う。
プーチン氏もいつかロシヤ国民や取り巻きの想いが薄れれば、怨念の矢をもろに受けるだろう。
その時何らかの形で死ぬかそれに近いことが起きるかもしれない。
余談だがその意味では日本の霊的防衛の中枢は靖国神社だ。