だいぶ前ですが、知らない方から「仏像送っていいですか?奉納したい。」という。
なぜ奉納したいのかといえばもう拝まないから・・・
小さな観音様の木像を長らく拝んでいたが最近友人の勧めでなんか新宗教に入ったそうだ。
その友人がそれは良くないから処分しろというらしい。
「それは奉納でなく捨てるということになりますね。」
「エ・・・そうなるんでしょうか?
お寺におさめるなら大丈夫だと聞いたので・・・」
「それをお返しするなら開眼して授けていただいたお寺にもっていくべきでしょう。」
「それいいずらいので・・・」
「だって、それはあなたの責任ですよね。どんな宗教に入ろうとあなたの自由ですが、それはうちに関係ないでしょう。わたしにその仏像をどうしろというのですか?」
「授けてくれたお寺では何か言われそうで・・・」
「そんなことは知りません。そちらへもっていくのが筋で最低限のあいさつでしょう。その御寺に今までの感謝としてお供えそえて持っていくのが礼儀というものです。」
「そちらでは引き取れないですか?」
「引き取りません。
どうしてもなんとかしろというなら抜魂料も添えて持ってきてください。
仏像もお持ちください、郵送はなりません。まだ仏様ですからね。」
「抜魂したら引き取れますか?」
「抜魂したらただの木や金属の塊に戻るのです。返すからあなたがゴミにでもだせばいい。」
「そんなことして罰当たりませんか?」
「大丈夫でしょ。当たるものならもうとっくに当っている。長年お守り頂いた観音様を捨てようと言うあなたの考えは十分に罰あたりですから。」
「わかりました…では、よそで引き取ってくれそうなお寺知りませんか?おたくがだめならよそのお寺を紹介してくれませんか?」
「知りません。紹介もしません。お断りします。自分で探せばいいでしょう。」で電話は終わった。
このように、よく仏像奉納しますといて持ってくるひともいますがそんな軽々しいことは断じていけません。返したいなら元のお寺です。
そのような形では奉納ということになりません。
仏像を奉納するなら事前にどうであろうかと尋ね、供養料を添えて後々までも寺に拝みに来るものです。
そうでないなら態よく捨てているのと同じです。奉納などと片腹痛い。
仏像もそう思われるでしょう。