金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

菩薩

釈尊はよく整えられ、何事にも驚かぬ自らこそが仏教の目指すところといわれた。

それを悟りとして考えれば、おそらく悟っても外界は同じだ。

世の中は苦痛の多い処。それは少しも変わらないだろう。

そこに直結していける人には祈祷など意味をなさないのかもしれない。

だけどそうではない衆生もある。

その衆生の迷いや煩悩のケアをしていくのが祈祷。

それをしていくのが菩薩行だと思う。