「いざ死んだら、怖さも懐かしさも無になると私は思います。もちろん、まだ一度も死んでいないから、本当のところはわかりませんが、死んだら無という気がしますね」
上の言葉は文化人らしく、寂聴尼らしい言葉だと今も多くの知識人から支持されているのかもしれない。
だが、最晩年の寂聴尼は「死んだら終わり。なにもない」とは言わなくなったそうだ。
実際に高齢の寡婦にも東北大震災で家族を失った人にも必ず亡くなったご家族はあなたの傍にきて見守っているといって慰めた。
それはなまじ慰めのためのリップサーヴィスだけではなかったと思う。
人は死に近づけば考えが変わるのかもしれない。
私はもとよりあの世はないとは思っていない。
早いものでなくなって一年。ご冥福をお祈りする。