お釈迦様は生まれてすぐ七歩歩いて「天上天下唯我独尊」といわれたとか。
無論、伝説だが「お釈迦様より偉い者はない」という意味にとるのは間違い。
この「我」は貴方であってもいい、私であってももいいのだ。
誰でも我はただ一人。だから「唯我」だ。
釈尊は「凡そ世の中に自分というものほど大事な存在は見いだせない」といわれている。
それは誰にあっても同じこと。
鳥でも動物でも虫でも魚でも同じことだ。
この概念は仏教の「人法無我」(人も環境も無我である)と矛盾すると思うかもしれないが、それは無我というものの取り違えだ。
「無我」というのは、「わたくしが存在しない」ということではない。
私だけを宇宙から取り出せないのだ。
空気や水や食料、社会、家族、いろいろなものがあって自分が存在できる。
今この場所だから存在できる。
ご縁によって存在できる我を無我という。
でなければ「有り難い」思いなど生まれない。
自分自身を霧霞のようにあるようなないような空虚なものと思ってどうして感謝などあるものだろうか。
この人生はたとえ輪廻転生があるといえども一度限りの人生であることに変わりない。
だから今日もしっかり感謝して「我」を生きよう。