気学などで吉方位の神社にいく。今月は辰巳がいいから千葉の外房の神社にお参り。
西は方位が悪いから信仰している神様の大祭があるけ今年はいかない。
これは信仰ではない。
祐気ということは私は否定しないし、方位ということも大変大事だと思う。
だが祐気取りの目的は佑気だし、信仰は信仰だ。区分けは大事だ。
今月は方位が悪いから月参りに行かないというようなものは信仰ではない。
そのような心は神仏はみそなわして愚かな勘違いをしている者と想われるだろう。
信仰とそういうものを一緒くたにしているようなものはダメです。
修行も同じ。
大峰山に峰入りに行くときは毎年いつも凶方だった。
凶方だからばっちり修行になる。
観光ついでのお参りならまだしも修行に関していうなら凶方位だ 五黄殺だ 暗剣殺だ、凶格だからと一々さけていては修行でhない。ましてやそんな行者に永遠に方位除けの力など身につかない。
毒に耐性なくして解毒はならない。
凶方を絶対的に避けていたら少しでも触れた時には劇的に毒が回る。
泥水飲んでなんぼだ。