僧侶も僧階が付くようなら師である。つまり教師だ。
本宗でいえば準教師と権律師以上の違いだ。
厳密に言えば準教師は僧侶見習いで僧侶とは言わない。
良き教師は常に勉強するものだ。
自分の専門なら聞かれてなるべく知らないことのないようにしなければならない。
完璧にはそれが不可能でも努力くらいは当然すべきだろう。
私も智慧乏しく、恥ずかしい愚痴のものだが努力だけはしている。
まあ、学者ほどの知識はいらないと思うが、最低限、尋ねてくる壇信徒の質問にくらいは答えたい。
尋ねられて「知らない」「わからない」などと臆面もなくシャアシャアというのは不届き者だ。
知らなければ調べてみるくらいは当然である。
だから僧侶を志しながら「資格だけ頂ければむずかしいことはいりません。それでいいんです。」などというものは僧階をいただくに全く値しない。
教師になる資格がない。
学ぶことにおいて意欲が低いのは全然良いこと思わない。
時折、なにか勘違いしてそんな話が来るが門前払いだ。
そんなものに頂ける僧階などない。
宗派の規定では学歴に応じて得度と授戒を兼ねて即座に僧階が頂くことも可能だが当院ではりあり得ない。
「なぜそうしてくれないのか?」と聞くものがあったが「不相応だから」という以外の答えはない。般若心経も唱えられないような初行のものが何が僧階だ。バカバカしい。