怖い病気かもしれないと検査を待って鬱々としている講員さん。
ご本人は「修行不足」と恥じるが、恥じる必要など全くありません。
死や病が怖くないようでは困ります。
怖いからこそ対処もし、明日を生きようとできるのですから。
死ぬのが怖くないような修行があればそれは間違った修行です。
何年修行しても死は怖い。それでいいのです。
怖くないようではダメです。
神経症の治療法「森田療法」の創始者である森田正馬先生が言われています。
日蓮上人は念仏信仰を尊重する幕府から目を付けられ弾圧されたけど怖くなかった超ド級の勇気の人なのか?
そうではないでしょう。
「法華経を末法の世の唯一の救いと心から信奉する日蓮上人にとっては幕府の弾圧や死よりも法華経の弘通の使命がまっとうできないことが恐怖だった。だから激しい弾圧も恐れず辻説法を行った」のだろうと。
学生時代、御著書を通して私は森田先生のお言葉に学んだことが多々あります。
恐怖はある意味大きな原動力です。時には死さえも超える。