12日に死去したタレントのryuchell(りゅうちぇる、本名比嘉龍二=ひが・りゅうじ)さん(享年27)の話題になると、ヒカルは「ネットに“育児放棄”とか書きこんでたヤツが、全部アカウントを削除して。それで、手のひら返したように同情の声をあげていて。僕はそれを見て、くっそ気持ち悪いなと思いましたね」と苦言を呈す。
「僕自身もめちゃくちゃ叩かれてて、今だに誹謗中傷されますし。でも、たぶん僕が死んだとしたら、手のひらを全員返して同情の声を投げかけるんだろうなって。僕が叩かれてるときには、それを楽しそうに見てるだけなのに。本当にネットは心底気持の悪いヤツらの集まりなんだなって思いました」と語っていた。
罪悪感がゼロだからこそそういうことができる。
「私は何も悪くない。」そういう前提だ。
そんな、こころの中の声をそのまま語るのがSNSだ。顔が見えない、素性が知れなければなおさらだろう。卑怯極まる。
「でも、たぶん僕が死んだとしたら、手のひらを全員返して同情の声を投げかけるんだろうなって。」
でもヒカル氏のこの考えは甘いな。「やった~‼追いつめて首取ったぞ」と小躍りして思うクズもきっといると思うよ。
少なからず。
それが人間という生き物。
それが証拠に見ず知らずの人の不幸をニュースで聞いても何も心におもわない人は多いんじゃないかな。哂うものすらいる。
そして誰でも心のどこかにそんな自分もどこかしらにいるのかも。
だから人間を愛するのは実は大変だ。
考えてみれば自分も同じかもな… そう思えば距離は短くはなるのかもしれないが。
ただ「そんなのはもう嫌だ。絶対に間違っている!」と思うのも同じ人間だ。
そこを信じないと人は愛せないかも。