「誰それが呪っている。」「呪詛が来たな」どと言う人は多いがその証拠はない。
例えばトラブルのあと不調が続けばきっとあいつが…という憶測でそうなる。
まあ。いわば呪詛の容疑者だが、大体の人が容疑者を即犯人だと決め付けてくる。
それダメだといっても自称霊感系の人はなかなか納得しない。
もちろん、そういう人のいうままに相手を特定して何かをするということはできない。
実は伝統的呪詛返しは相手を特定しない特徴がある。
誰が…は関係ない。
人は星周りがよくなかったり、中限破門殺などでは人間関係の衝突や失敗や事故やケガ、病気そういうことが続けて起こるので呪詛の様に見えたりもする。
きっと癌だと思い込んで癌だといわれるまで医者巡りする人がいるそうだが同じようなタイプの人もいる。
中には「先生にも分かっているはず!」とか言ってくるが、こちらは霊能者でも何でも無いのだからわかるわけない。
迷惑な思い込みだ。
それを探るのが仕事だ。仕事しないで結論はない。
私は自分が五体加持でもして、なにかしら見出さない限り認めない。
最低限自分自身が確信しないことはできないからだ。
ありていに言えば訴えてくる人の言葉はそのまま採用しない。
もちろん、お加持したところですべてが分かるわけでもない。
だがその人の今問題にすべきことは前面に出てくる。
以上の理由で私は講員以外の「霊的障害を何とかしてほしい」という相談は100パーセント例外なく断っている。五体加持もしない。
だが、ただ断るだけでも気の毒なのでここに仮に一法を示す。
これはまあ、自分の身に感じる程度の、つまり物理現象を伴わないレベルの対処法である。重度は普通は無理だ。
「なんか来てる!」的なものの対処だ。
それは般若心経の逆読みである。
まず般若心経自体読んだことがないという人ではどれほど効験を得られるかはわからない。いきなり逆読みはだめだ。
そういう人は前行で千巻ほど普通に読んだらいい。
ここまでやれば普通に読む般若心経は暗記できる。
できないのはマジメにやっていないということだろう。
いわばこれが加行だ。一か月もあれば楽にできる。その気になれば一週間でもできる。
大事なことは声を出すこと。声を出す範囲が「音声結界」となる。
黙読やぼそぼそ読みは通用しない。
あげる対象はなくてもよい。
観音の三昧だから最初に「南無観世音菩薩」と三回呼びかければい。
なにか信仰対象の仏様があるならその方でいい。
ただし、お経を読むと霊が来るからあげるななどと言う霊能者の言葉が気になるという人はしないで欲しい。恐々していては功徳はない。
思い込みから、余計ひどくなったなどと言われても私は責任は一切とらないので、あくまで自己責任でしてもらいたい。
そういう相談には乗らないから便法を教えるのだ。
ただし、私には仏教以外のやり方は知らないからそういう方に教えられるほかの手立ては一切ない。
逆にすっかり良くなっても一切礼には及ばない。
それはあなたがご自分で導き出したのだ。私は何もしていない。
加行が終わったら心経を終わりから書写していく。
ご自分の読誦用だ。
読む場合は感じを後ろから拾って最後の経心多蜜羅波若般訶摩まで読むように。
すなわちキョウ シン タ ミツ ラ ハ ニャ ハン カ マとなる。
キョウはギョウとまで読まなくて素直に読めばいい。
他もすべて同じ要領である。
真言も漢字の逆読みでカ・ワソ・ジ・ボウ・テイ・ギャ・ソウ・ハラ・テイ・ギャ・ハラ・テイ・ギャ・テイ・ギャと読む。
逆読み全部の暗記は困難でもこの部分だけ暗記してもいい。
密教では除罰作法と呼ぶ部分だ。