身にそぐわない行をしようとすれば必ず災いに変わる。
故に授けてはならない人はあると思う。
どういう人がそういうそぐわない人と言えるのか?
1 所定の行を省くもの。
例えば加行せず護摩を焚くとかいうのがそれだ。
諸尊の前行もこれに当たる。
「そこはしないでもちょこっと教えて欲しい」なんて言うヤツは昔ならぶっ飛ばしもんだ。
2 恐れを知らないもの。
たとえば、修行が浅いのに四種頓法である浴油だの浴酒だのをしたいと口にする者。
また当道秘法や深仙灌頂うんぬんとかのっけからいう。
こういう人間は必ず挫折する。
ようするに誇大妄想のようなもので自分がなにひとつはじめてもないのにそれに見合う資質と信じて疑わない人間だ。
実際に精神がおかしい人もいる。そういうのは長い目で見ても無理だ。
3 実践を知りもしないのに知識だけで行を評論するもの。
全く門外漢がどういおうと構わない。気にも留めず取り合うだけバカバカしいが行者の生意気は必ず報いが来る。
要するに学問や知性、教養などで修行などしなくても補って何とかなると思っているバカの類。基本的にその考えが間違だ。こういう人間に真の学問はない。
例えば武術は練習や実践ではじめて強くなる。
力学的理論を知っていても練習しないで強くなるわけない。同じことだ。
4 身の程を知らぬもの。
2の恐れを知らないものの実践バージョンだ。罪はより深い。
例えば私にしても宗派のトップがするような御修法や鎮護国家の大法など知っても仕方ないし、知りたくもない。
自ら顧みてそのような大それたことする資格も徳も全くないと思う。あるいは安易に急場拵えの流派だの宗派だのを立てようとする。
徳なき身でそんなことをすれば護法や天神の冥罰を受けるだけでなにひとつ益はない。
最高の秘法のつもりが実は自らを滅す恐ろしき一大原因となる。
こういう人間に授けてしまえば結果は必ず良くないし、授けた人間の不徳となる。
だから法は無暗に授けず、また同時に自らも安易に授からないことも大切だ。
四種頓法などは授かっても全部は修してはならんという口訣もある。
今はなるべく必要性のないものは誘われても授からないことにしている。
あえて何でもかんでも知りたい、授かりたいという心はない。
すでに持っている法にこつこつと磨きをかけるのみ。他は興味なし。
まあ、勿論、これはその人間の器にもよると思うが・・・・。