金翅鳥院は単に祈願寺であるというより祈願道場であろうとしている。
祈願もまた道なのだ。
何を願う。
どう願う。
願ってダメなのはなぜか。
悪い祈願ではないのにどうしてなかなか叶わないのか。
そのすべてが自分の在り方。
祈り方、考え方に関わってくる。
あえて厳しい宗教的な行をせずともそれはまさしく「道」だと考える
祈願を通じて自己の修行を図る。それが拙寺の特徴だ。
としかく叶えさえすれば何でもいいという人には向かないだろうと思う。
祈願を通じて自己を考えていこう 仏道に学ぼうという人に来ていただけると嬉しい。