金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

精進

「無我相」の話をすると「頑張って無我相を想う」とか「無我相に徹する」とかいう人がありますが、頑張っても無我相には至らない。

頑張るというのがそもそも無我相とは逆だ。(笑)

頑張るのはどなたですか?

「頑張って無我になる」って噴飯ものだ。

無我になるんじゃない。認識するのだ。

その認識に至る工夫こそが無我相の修行。摺り込みじゃない。

じゃあ、精進努力は無用なのか?

そうはいわないが「精進」とは頑張って・・・ではない。

倦まずたゆまず六度薫習が大事。持続することです。

 

よくこれを読みなさいというと一日で読んだり、礼拝でも独部法でもやっつけ仕事のようにやる人がいるがそんな「やりさえすれば」は精進ではない。

考え違いの病気みたいなものだ。

そんなのは何にもならない。薫習になっていない。

認めれば自分で大したもののように勘ちがいするから褒めもしない。

「ああ、おわりまいしたか」でしまい。

逆に授かった行をいつまでもタラタラとだらしなくやらないのはもう論外だ。

話にもならない。

修行とはペースだ。それを乱さぬように続けることが大事

うまずたゆまずこそが大事だ。